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Carlo Bergonzi

Violin Maker  1682-1747
CremonaItaly

カルロ・ベルゴンツィがどの様にして製作を学んだかについては、これまで数々の憶測があった。かつて英国の弦楽器商ヒル商会はその作風からジュゼッペ・グァルネリ・フィリウス・アンドレアの弟子であったのではと推察しているが、最近の研究ではルジェリ家との関係性に注目が高まっている。

カルロの母親はヴィンチェンツォ・ルジェリの娘の名付け親であった。そして、1712年にベルゴンツィとルジェリは同じ教区内に住んでおり、交友関係が密接であったことが明らかである。

ベルゴンツィは1720年代初めに独立したと考えられているが、この時期のヴァイオリンのアウトライン、f字孔の形、パフリングの素材にビーチウッドを使用している点など随所にルジェリの作風の影響がみられる。またアーチの高さを決めるために、裏板の中心部に打つドーサル・ピンを用いていない。これはグァルネリ家やニコロ・アマティらクレモナのメインストリームに属する製作者らとは異なる技法であり、この点についてもルジェリとの共通性がある。

しかしながら彼の作品は、A.ストラディヴァリグァルネリ・デルジェスが用いたような上質な木材や、美しい色合いと質感のニス、作品の随所に表れる優れた製作技術によって製作されていることから、クレモナ派の最高傑作に劣らぬ名器として高く評価されている

1746年にはストラディヴァリ工房へ移り、1758年まで働いたとされる。カルロは亡くなったストラディヴァリの未完品を引き継ぎ、製作を行ったと考えられている。彼の息子であるミケーレ・アンジェロは技術とオリジナリティの両点において父親と肩を並べることは無かったが、ベルゴンツィの伝統は彼の孫であるニコラの代の1800年頃まで受け継がれた。