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Claude Joseph Fonclause

Bow Maker  1799-1862
ParisFrance

クロード・ジョゼフ・フォンクローズはリュクセイユに生まれ、E.パジョーの下で製作を学んだと考えられている。1820年頃にパリへ移り、リュポと共に働いたとされる説があるが、現在では否定的な見解が多い。その理由として、彼が使用していた焼き印の書体が大文字「FONCLAUSE」と、当時のミルクールにおけるパジョー・スタイルであり、パリジャン・メーカーたちとは異なるためである。
 
この時期の弓の特徴として、幾らか丸みを帯びたヘッド、短いフェルールと深いスロートを持つ長いフロッグ、しばしばパール・アイの装飾が施されるアジャスター八角リングなどが挙げられる。
 
1832年にパリへ移り、ヴィヨームの下で10年間働く中で、数多くの優れた製作者と交流を持った。1840年にはPagevin通りに自身の工房を構えた。1850年以降はパジョースタイルにぺカットシモンの要素を融合させ、当時の偉大な師匠達の弓に匹敵する程の作品を製作した。
 
その後もヴィヨームやシモンの工房向けに弓を納品し、彼のスタイルはさらにシモンの要素を取り入れたものへと変わっていった。1862年、62歳で亡くなっている。
 
彼の初期に作られた弓は数多く現存しており、その中にはE.パジョーの最も美しいモデルに引けを取らないものを含む。後期は製作が減少したため本数が少ないものの、その品質は見事である。