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Giovanni Battista Ceruti

Violin Maker  1756-1817
CremonaItaly

ジョヴァンニ・バッティスタ・チェルーティは、クレモナから320㎞ほど離れたセスト村にて、ちょうどザルツブルグのモーツァルト生誕より10ヶ月後に産まれた。彼は長らくロレンツォ・ストリオーニの弟子とされてきたが、最近はその製作スタイルからベルゴンツィ家の影響を指摘されている

記録によると、彼は1786年に家族を連れてクレモナに移住したとされているが、実際に楽器製作を開始したのはそれから10年後のことである。このタイムラグは、当時チェルーティは織物商人として大都市クレモナにやって来た為、この時点ではまだヴァイオリンメーカーではなかった。彼は自身の織物業を通してベルゴンツィのニコラ・カルロ2世兄弟と知り合い、これが製作への転職を促す影響を与えたのではないかと考えられている。

1802年にストリオーニがクレモナを離れた後の10年は、チェルーティにとって製作数が最も多い期間となった。彼がストリオーニの工房を継いだかどうかは不明だが、1805年作のヴァイオリンにはストリオーニ作のスクロールが採用されているなど、彼らは何らかの強い関係を築いていたのではと推察される。

チェルーティの技術は、ストリオーニに比べいくらか精練された正確さを持つものの、裏板材に杢目がおとなしく素朴な外観のものを良く使用した。

彼のヴァイオリン製作史における主な貢献はクレモナ派の伝統を蘇らせたことであり、それゆえチェルーティ家は3代に渡り後期クレモナ派に於ける主要な製作家であり続けた。彼は1817年、その年に流行したチフスにより亡くなったとされている。

写真:Violin made by CERUTI.Giovanni.Battista, Cremona 1806