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Giuseppe Antonio Rocca

Violin Maker  1807-1865
TurinItaly

ジュゼッペ・ロッカは、1834年から1838年の間、トリノにてプレッセンダより技術を学んだ。1834年に独立し、1840年代中頃には師匠のプレッセンダ・モデルから完全に離れ、ストラディヴァリやグァルネリ・デルジェスを基にしたモデルを用いた。
 
1840年代、50年代が、ジュゼッペ・ロッカの絶頂期であり、美的にも音響的に優れたヴァイオリンを製作した。ある時期から、かのルイジ・タリージオ(当時を代表するヴァイオリン・ディーラー、1827年にコツィオ・コレクションのほとんどを所有したことで有名)と面識を持つようになった。タリシオを通じて、名器中の名器、1716年のストラディヴァリ「メシア」と1742年のグァルネリ・デルジェス「アラール」を知るようになると、この2つのモデルで多くのコピー楽器を製作した。これらの中にはアンティーク仕上げの楽器も多い。また、経済的な理由で、もともと虫食いのある材料など、質の悪い材料を用いて製作することも多かった。
 
1851年頃から、ジュゼッペ・ロッカはトリノとジェノヴァを行き来するようになり、1863年には完全にジェノヴァに移住した。彼は、酒、賭け事、女性が好きで、5回結婚するなど起伏に富んだ人生だったようである。1865年に溺死して波乱万丈の人生をおえるが、当時18歳であった最期の妻による陰謀であったという説もある。

写真:Violin made by ROCCA.Giuseppe.Turin