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第20話 ~パガニーニ(2)~

パガニーニがある日、彼の所にやって来た。やにわに上着の下から、先に近い部分から折れている弓を取り出した。この弓はいつも使っているものだったが、その折損箇所は明らかに彼自身によって一本の糸で繕われていた。

 

さて、人の口はうるさいもので、この巨匠をめぐっても色々と取りざたされて噂にのぼっていた。そうした話の一つに、この弓に関する一つの話があったのである。


写真:“Bow withfixed frog,designed by Jean-Baptiste Vuillaume”より一部引用“BOWS for MUSICAL INSTRUMENTS,William LewisSon,1959,54page


彼があんなに素晴らしいスタッカートが出来るのは、弓の中に鉛が入っているからだ。弓の中は中空になっており、その中に幾つかの鉛が入っていて、必要な時に弓の中を玉が上下に転がり、必要でない時は止まっているから…。」というものであった。

 

さて、ビヨーム氏もこの話は聞いていたし、馬鹿げた話だと嘲笑してはいたものの、彼もまた少なからず自分自身の目で弓を確かめてみたいという好奇心を持っていた。従って、この機会を逃すまいと心に期した。パガニーニは、ただ「修理してほしい」と頼んだだけであったが、ビヨーム氏は付属品のあれこれを指して、「これを取り替えてもよいですか」と尋ねた。「どうぞ。お好きなように」と彼は答えた。

 

この言葉に元気づけられて、ビヨーム氏は弓先の部分に巻かれた糸を指して、それも取り替えさせてほしいと言った。黙って領いたこの巨匠は、上衣のボタンをかけて、辞去しようとした。


写真:“Jean-Baptiste.Vuillaume”“BOWS for MUSICAL INSTRUMENTS,William LewisSon,1959,309page


 

早速、ビヨーム氏は、ナイフを取り上げ、“玉”が入れてあると言われている頭部の糸を切りかかった。パガニーニは 「私の弓に関する話を信じる程の馬鹿だったとは思わなかったですよ、ビヨームさん。」と言いニヤリと笑った。糸が解かれ、ビヨーム氏の手には、魔法の弓が横たわった。

 

しかしそれは、糸で接ぎ合わされた単なる折れた弓であった。やはりこの巨匠の五本の指以外には他のどんな魔法すらもなかった。その五本の指こそ、折れた弓をもってさえ聴衆に至上の喜びを与え、かつ演奏の途中で席を立たねばならない程の悲しみをもたらし、さらに恍惚の世界へと導いたのであった。



さて、弓の修理が出来上って、パガニーニが取りに来た。その時ビヨーム氏は、「一度折れた弓は又、折れ易いものです。特に公演の時に折れた弓を使うのは常に、危険を冒しているようなものです。」と言って、彼のために特に自分が作った弓を受け取ってもらえないかと頼んだ。



それはどうもありがとう、ビヨームさん。」と、パガニーニは言った。そして「でも、私はまだ使うチャンスのない立派な弓を五~六本持っていますので、あなたから弓をいただいても使うことはないかもしれません。でも、お断りしてあなたをがっかりさせようとも思わないので、ありがたく頂戴して時々使ってみようと思います。一般的に弓は、それぞれ個性があって、長所、欠点にも色々差があるといわれるけども、私の経験によればそれはごく些細なものにすぎないのですよ。唯一の相違点は、演奏する人にあるだけなのですよ。」と続けた。

 

この言葉は、ビヨーム氏にとってあまり慰めにはならなかった。というのも、彼は、この大バイオリニストに対する最大の尊敬のしるしに、ぜひ自作の弓をプレゼントしたいと思う一方で、当然のことながら、彼にとっての宣伝効果も、幾分希っていたであろう。

 

パガニーニの気のない受け入れ方と、その言い添えた言葉は、ビヨーム氏のそうした希望を打ちくだいてしまった。


写真:“Violin Bow Pierre SIMON MODELE VUILLAUME VERS 1860”, L'Archet, Bernard MILLANT et Jean Francois RAFFIN, 2000, 93page



これらの事実は、私がビヨーム氏から得ることのできたパガニーニに関する全知識である。しかも、当時のパリでは、ビヨーム氏が彼と最も親交のある人だったとビヨーム氏自身からも第三者からも聞いていたので、私は一層失望したのだった。


パガニーニがパリ滞在中にどんな風にして過ごしていたのか、あるいはその生活様式などについては誰も知る由がないようだった。

アラール氏と同様、彼の泊まっていたホテルを訪ねた多くの芸術家もあったが、パガニーニが自室にいる時でさえ、まず会うことは出米なかったそうだ。こうした対応では、彼等に嫌気がさしたとて、無理からぬことだ。

 

多くの人々は彼の非社交的態度を同時代のフランスの大バイオリニスト達に対する嫉妬によるものだと受けとめたようだ。しかし、こうした考え方は、ビヨーム氏もアラール氏もばかばかしいものとして取り上げることもしなかったようだ。

 


かくして私は、パガニーニの情報獲得の次の方向を彼の唯一の弟子であるシヴオリに向けることにした。


第21話 〜パガニーニの弟子(1)〜へつづく