月曜・祝日定休
Closed on Mondays
& national holidays

10:30~19:00

112-0002 東京都文京区小石川2-2-13 1F
1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN

後楽園駅
丸の内線【4b出口】 南北線【8番出口】
KORAKUEN Station (M22, N11)
春日駅 三田線・大江戸線【6番出口】
KASUGA Station (E07)

写真:ジェノヴァ市 フェッラーリ広場

さて、ジェノバの町の市会議事堂に、パガニーニから贈られたバイオリンと弓が展示されているが、これについて少し述べよう。

 

これは一七四三年作の、大型のヨゼフ・ガルネリで最盛期の作品である。何回か述べたように、この製作者の作品の中では最高傑作の一つである。かつて、フランスで馬車の上から一度落とされたという言い伝えもあるが、見たところわずかのキズすらない完全な状態である。

■ シヴォリが語るデルジェス・カノン

写真:デルジェス・カノンのビヨームコピー(手前)とデルジェス・カノン(奥)

まだこのバイオリンを見たことのない人にとっては、この楽器がパガニーニの使用した当時と同じ状態なのかどうか、とても興味あるところだろう。

観察してみると、指板が本体から渦巻きにかけて少し反っているために駒を低くできないためだろうか、駒は高めにとってある。弦幅は狭く、ネックの角度も低い。

この状態が、パガニーニの天才といわれた和弦奏法を容易にしたのだろうか。あのいろいろな美しい効果を生みだしたのだろうか。だとしても今日の演奏家にとって、駒と指板のどちら対しても狭いという状態のままでは使用不能である。
ジェノバ市では、この地を訪問した大バイオリニストにこの楽器を貸し出して慈善コンサートを催す。主催者は、演奏家が’’特別に貸し出された’’パガニーニのバイオリンで素晴らしい音楽を市民のためにも演奏すると銘うつのだ。

しかし事実に目を向けると、この楽器は前に述べたような状能である上に、E線とG線も切れかかっていて駒も歪んでおり、中の二本の弦で駒が支えられているような最悪の状能であった。少なくとも、このままの状態で演奏可能とはとても思えなかった

シヴォリはジェノバの生まれである。休暇にはたびたび帰っていたし、数多くのコンサートも開いている。私は、本当に演奏家達がこの楽器を借りて演奏したのかどうかを彼に聞いてみようと思った。「そう」とも「そうでない」とも彼は答えた。

例えば彼は、演奏会場に向かって家を出る前にバイオリンケースを開けて、ガルネリの代りに彼の所有するビヨームを入れ、ガルネリは他のケースに注意深く鍵をかけてしまい込むのであった。彼はその二つのケースを持って控室に入り、彼の出演する時になると付添人はパガニーニ・ケースを運んでいき、小さなテーブル上に置くのだった。シヴォリはケースを開き、バイオリン(もちろん彼自身のもの)を取り出し、熱狂的な拍手の中で演奏を始めるのである。


■ 演奏できる状態ではなかった!?

写真:"Violin Laid Flat" by Ernest Meissonier.les violons.Venetian instruments Paintings and Drawings.1995.page248より一部引用

この計略はばれる危険がほとんどなかった。というのは、詮索好きな者が例え控室に入って来たところで、ガルネリが入ったケースは入念に鍵をかけられて、何も発見するものはなかったのだから。

時には熱心な訪問者が独奏の終わった後で部屋へやって来て、バイオリンを見せてくれと頼むこともあったが、彼はいつも適当にあしらって退散させたという。

これは彼の話したやり方だが、たいていの独奏家も似たような説明をするのではないかと思う。現状のままではこのバイオリンは演奏不能ということが確かなのだから、恐らくそうだったのだろう。

例の折れた弓もまさかと思うようなみすぼらしいものであった。それには折れた痕跡は見られなかったが、その弓を使用するにはどうしても必要だった巻糸が取り除かれていた。後世の人の手によって、ニカワで接合されたということも考えられるのである。しかし、こうしたことをケースの外から判断するのはいずれにせよ不可能である。



〜  コラム番外編 カラマン・シメイのこと ~

カラマン・ シメイの皇太子が、ド・ベリオ先生からかの有名なマジーニを購入した。私がそれを初めて見たのはブラッセルであった。偉大な演奏家であり作曲家であるド・ベリオ教授は、一時ブラッセル音楽院のバイオリン科主任を務め、数多くの著名なバイオリニストを育てた。

皇太子は、このバイオリンに六百ポンドという高額な支払いをしたが、このバイオリンにこのような高値がついた理由は、一つには買い手が皇太子であったこと、もう一つは皇太子が教授の保護者であったからだ、と一般的には信じられていた。


さらにこのような考えに至ったもう一つの理由は、この製作者の楽器は、どれもこの額の近くにさえいったことがなかったからである。 だが、このバイオリンを見た時、その値段は決して高いとは思わなかったし、今でもそう思っている。 むしろ価格以上のでき栄えの楽器であるとさえ思う。

ところでこのバイオリンを皇太子が買い求めるに至った本当のいきさつは、パリのテルヌ街(ビヨームが住んでいる街)に住んでいたドリヤ侯爵とある日、私が朝食を共にしていた時に彼から聞かされた話が事実らしい。皇太子も後になってこの話に間違いない、と私に話してくれた。

皇太子とドリヤ侯爵は若い頃、時を同じくしてド・ベリオの弟子であった。皇太子の方が侯爵よりも熱心に勉強したので、はるかに優秀な弟子であった。しかし不幸にして彼の右腕は、不治のケイレンという持病があって、運弓法に大きな障害が生じていた。

ところでド・ベリオの生徒には、使用するバイオリンは、すべて彼の手を経て与えられねばならないという条件がつけられており、皇太子と侯爵は当時二人とも、小型のバイオリンを当てがわれていた。ド・ベリオ自身は、音量を好むが故に大型のバイオリン、特に演奏会用の楽器として小型のものよりストラディバリやヨゼフ・ガルネリを好んだ。したがって、小型の楽器は弟子たちに譲ったというわけである。
このように、先生から強制的に買わされるということがなかったなら、侯爵はもっと良い楽器を手にしていたかもしれなかった。例えば、サラサーテが今使っているような立派なストラディバリなどの所有者となっていたに違いない。その先、このバイオリンはビヨームの店で売りに出されており、 侯爵は何度もそのバイオリンに憧れの目を注いだものであった。

しかし、まるで音色の異なった二つのバイオリンを弾くというのは全く不可能と考え、しかもそのバイオリンを購入することはケースの中にお金を寝かしておくようなものだということを自覚していた。




第25話 ~セント・ペテスブルグにて(1)~へつづく