月曜・祝日定休
Closed on Mondays
& national holidays

10:30~19:00

112-0002 東京都文京区小石川2-2-13 1F
1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN

後楽園駅
丸の内線【4b出口】 南北線【8番出口】
KORAKUEN Station (M22, N11)
春日駅 三田線・大江戸線【6番出口】
KASUGA Station (E07)

写真:’’スコットランド、グラスゴーの歴史的な白黒写真(19世紀)’’ Historic B&W photos of Glasgow, Scotland (19th century) by monovisions.com

ビュータン氏の演奏能力

その後、私が彼の演奏を聴いたのは、ただ一度だけだった。やはりそれもジャンセン氏の部屋での楽しい小音楽会であ った。その頃のビュータンは、まだ生気に溢れ、才能も衰えずに、持ち前の“火の如き熱情”は失っていなかった。私は、 かつてグラスゴーの公会堂で、彼の弾くヨゼフ・ガルネリウスの熱き思い出を、ここで再び新たにする思いであった。そ して彼が健康を害するようになる少し前に、このバイオリンは、ビュータンに絶えず手放させようとしていた彼の友人、 アントワープのウィルモットという人に渡った。その後、彼の弾いていたのは、ロンドンのブーランジェ氏から買ったも のであった。しかし、間もなく不幸にも彼の偉大な演奏能力は失われてしまったのだった。

写真:右からPortrait of C.N.Gand / Portrait of G.Bernardel, Reference to "nicolas LUPOT Ses contemporains et ses successeurs", JMB Impressions, 2015

このブラッセルで、最後に会ってから幾年も経たない頃のある日、パリのガン・ベルナーデル商会に入ってきた彼と出会った。その変わり方が余りにひどかったので、彼だとは気づかなかった。しかし、彼は私を二、三度眺めると、私だと気がつき、彼が弱っている風だったので、握手も出来なかったが、丁寧に挨拶を交わした。

彼は目に輝きを見せて、「今でも相変わらず、良い楽器を購入しては、ガン氏やパリの業者達を喜ばせていますか」と尋ねてきた。「そんなことは言わないで 下さい!」とガン氏が叫んだ。「私を含めたパリの業者は誰でも、少しも嬉しいことはないのですよ。憎らしい位に思っています。ローリーは、立派な楽器であれば、ミスなしに買い上げますが、一番いけないのは、我々の想像もつかない高値でも買ってしまうのですよ。我々のところに売りに出てくるバイオリンがあっても、所有者の言い値で買わない時には、さっさと持ち帰って、彼らはローリーを待つのです。すると彼は、間違いなく言い値の額が手に入るわけです
今、楽器がありますか」とビュータン氏が私に尋ねてきた。「あります」「パリで目下調整中のものが三丁と、他にホテルに何丁か置いてあります。しかし、今持っているものは、どれも仕上がっていませんので、見るだけで音を出して試すことは出来ないのです」と私が言うと、「それでもよろしいですよ」と、「今の私はどんな楽器でも見るだけしか出来ないのですよ。しかし楽器に対する愛着と興味は、昔と少しも変わりません。いや、昔以上でしょう。ホテルにあるのなら、 是非ここへ持ってきて見せていただけませんか」。

写真:Cello made by BERNARDEL.Leon.Paris

私が少しためらっていると、それに気付いたガン氏が叫んだ。「ああ…せこい人が。我々に見せたくないんだ。それに、ここへ持ってきたくないんだね。あなたは、自分で手に入れたものは、どんな形であれ、我々には見せたくないんだ。ことに、パリで手に入れたものは、すぐに素性が分かるし、誰からかもすぐに分かってしまうからですね!」「あまりはっきりした言い方をするもんじゃありませんよ。実は、二日ばかり前に、パリで手に入れたストラドの逸品を持っているのです。皆さんは、その素性も知らないはずだし、かつて見たことがない程の楽器であることは確実ですよ。五フラン賭けてもいいですよ」と私が言うと、「これが私の五フランです。さて、楽器を持ってらっしゃい」とガン氏が言った。
私がそこへ楽器を持ってくると、ガン氏はそれを手に取ってじっと眺め始めた。仔細に調べ終わると、ビュータンに渡し た。さらに仲間の一人、エルネスト・ベルナーデルを呼んだ

彼もまたよく調べ始めた。しかし、彼らは途方に暮れてし まった。このバイオリンは、素性の確かなことでは一点の疑いもなかったのだが、誰一人として、かつて見たことがなかったのであった。ガン氏が、賭金を支払いながら、「さあ、受け取りなさい。賭はあなたの勝ちだ。一体どこで見つけたのか教えて下さいよ」「前にも言ったようにパリです」と私が答えた。「けれども、初めて見たのは数年前のことでした。当時は、売り物ではなくて、ずっとそこにあったのです」「なるほど。で、パリのどの辺ですか」「さあ、それは話が別でしょう。賭の中には入っていませんよ」と私が言うと、「話をしてくれるならば、賭金を倍にしてもよいのだが…」と彼は言ったが、私はこの件については断わった。

さて、このバイオリンをガン氏が調弦して、もう一度ビュータンに手渡した。しかし、彼はバイオリンを保持するのがやっとで、弦に弓をあてて、指をほんの少し動かすことしか出来なかった。彼はすぐに止めてしまって、「ごらんなさい! 私の哀れな指が指出来るのは、これが精 一杯です。でも、このバイオリンを見ていると、ついつい弾きたくなってしまうのですよ」と言うのだった。彼が弾こうとする姿を見たのは、これが最後だった。

第36話~名手「ビュータン」との出会いーその3-~へつづく