月曜・祝日定休
Closed on Mondays
& national holidays

10:30~19:00

112-0002 東京都文京区小石川2-2-13 1F
1F 2-2-13 Koishikawa, Bunkyo-ku,
Tokyo 112-0002 JAPAN

後楽園駅
丸の内線【4b出口】 南北線【8番出口】
KORAKUEN Station (M22, N11)
春日駅 三田線・大江戸線【6番出口】
KASUGA Station (E07)

〜2人のチェロ奏者⑵〜


話は変わるが、セルヴェ氏は教師としてもたいへん尊敬を集めていた。それは彼の父にはなかった部分、つまり音楽の基本的な知識があって、それが一層洗練された音楽家だったからだろう。彼が外国旅行を嫌いさえしなければ、はるかに偉大な名声を博したにちがいない、それだけの才能を持っていたと私は思う。彼の友人達も、何度もくり返して海外へ出るように彼に勧めたが、彼は渋っていてそうこうするうちに機を逸してしまったのだ。

ある日彼は宮庭の晩さん会に招待された。一日の狩りを楽しんで食事がすみ、話に花が咲いていた。彼はふと立ち上がって、マントルピースからパイプを取ろうとして、何かのはずみで床に倒れ、そのまま息を引きとってしまった。彼の急逝は、友人達、家族にとっても強い衝撃だったろう。

彼の死後、あのすばらしいチェロは、ある銀行家が息子の為にと、3千ポンド以上で手に入れた。この篤志家は、このストラディバリウスのチェロが、父子二代にわたる演奏家によってその真価を充分に発揮させられ、かつ有名であったことを心から惜しんで、ぜひこの楽器を自国に留めておきたかったのだという。


ここで一つ書いておきたいことがある。大型のチェロのカット・ダウンという仕事は、当時きわめて重大でしかも困難だったということだ。これを完璧に出来る人は一人だけ存在した。タニンガン氏がそれである。

彼の作る楽器は、どちらかというと粗末なものだったが、古い楽器の修理をやらせると、彼の右に出る人はいなかった。彼こそ、カット・ダウンの一片の痕跡も残さずにどんなタイプの楽器でも、完全に修復出来るだけの方法を工夫した人であった。これは、ビヨーム氏でさえ、彼の実力を認めていたことからも充分にわかる。
(第9話〜ストラディバリウスのチェロ〜へつづく)