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1758年頃のシェーンブルン宮殿 / Bernardo Bellotto in 1758. Courtesy of Wikipedia.


今回は19世紀ウィーン派の名工、フランツ・ガイゼンホフ(1753-1821)についてご紹介いたします。

“オーストリアのストラディバリ”と謳われるほど、ガイゼンホフの作品は優れた芸術性を有し、また、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の団員に古くから愛好されている楽器として有名です。

■生い立ち


ガイゼンホフはフュッセンに生まれ、1772年にウィーンへ移住しティア・ファミリーの工房に弟子入りしました。

ティア工房では、普及品から高級品まで幅広いクラスの楽器を生産していましたが、ガイセンホフはどちらかというと品質が高い楽器を集中して製作することを好んでいたようです。

初期の作品は師の作風に影響を受けておりますが、やがて彼はそれよりもアーチを低く設計するなど、自身のスタイルを変化させていきます。その意図の背景には、当時のウィーンの音楽事情が関係していると考えられます。

写真左:1794年製チェロ  / 写真右: 1806 年製バイオリン
1800年以降の作品はストラディバリに影響を受けたモデルへと変化している。

■貴族社会が育んだ、音楽産業の発展

オーストリアの首都ウィーンでは、15世紀にハプスブルク王朝の庇護を受けて才能ある演奏家や作曲家が活躍し、音楽文化が大きく発展しました。

その繁栄は古典派からロマン派時代まで続き、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェンなどの大作曲家が、ラズモフスキーなどの裕福な貴族の支援を受けながら精力的に作曲に取り組みました。

写真左:アンドレイ・ラズモフスキー伯爵 / 写真右:作曲家ベートーヴェンの肖像(Wikipedia)

ウィーンの貴族らは、オーケストラやオペラ、室内楽を楽しむために合奏団を囲い、作曲家に編成の大きい曲の製作を依頼しました。

大編成の合奏においては、それまで主流だったハイ・アーチの楽器では広い空間での音量に欠けるため、ミディアム・アーチからロー・アーチの作品が好まれるようになります。こうした音楽的嗜好の変化を受けて、ガイゼンホフはストラドモデルを取り入れるようになります。

■作風について

1800年頃から、その作風に顕著な変化があらわれ、アウトラインやアーチ、f字孔、スクロールの形状に、ストラディバリの影響が見て取れるようになります。


精度の高いウッドワークにより、黄金期ストラディバリの均整のとれたフォームを再現しています。


殆どの18世紀のウィーン派製作者と同様に、ガイセンホフも初めの頃は暗く不透明なニスを使用していましたが、1800年以降は赤みがかった、もしくは明るい茶色のグラデーションを持つ、透明感あるニスを使用しました。

ラベルの他、ガイゼンホフのほとんどの作品は裏板のボタン部に、ブランドマーク「FG」が焼印されております。

写真:Violin by Franz Geissenhof / Tarisio Archeive 

■市場での評価

演奏様式が大きくなるにつれ、楽器の注文も増えるようなりました。当時の領収書や資産目録によると、ウィーンの貴族が所有した弦楽器の多くが地元メーカーによって占められております。おそらくその多くは一般団員が弾くための楽器として使用されたのだと考えられます。


ガイゼンホフは優れたメーカーであったにも関わらず、経済的にはあまり裕福だったとは言えなかったようです。彼の死後、未亡人に残された遺産はほぼ皆無に等しかったと記録されています。

しかし冒頭でも述べましたが、ガイゼンホフの作品はウィーン・フィルなど地元の名門オーケストラが楽団で所有するなどポテンシャルの高い演奏楽器として評価されております。

写真:ウィーンフィルハーモニー管弦楽団

参考文献

“Franz Geissenhof” from Cozio archive (Tarisio)

“The Vienna School by Rudolf Hopfner” from Cozio archive (Tarisio)

文:窪田陽平