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写真:ブリュッセル王立音楽学院の校舎 , https://www.brussels.info/opera/nsより引用 

バイオリン商 デビッド・ローリーの回想録
王家のマジーニ・その1


カラマン・ シメイの皇太子とドリヤ侯爵は若い頃、時を同じくしてド・ベリオの弟子であった。ド・ベリオの生徒の使用するヴァイオリンは、すべて彼の手を経て与えられねばならないという条件がつけられており、皇太子と侯爵は当時二人とも、小型のヴァイオリンを当てがわれていた。

詳しくは前話のコラム番外編 「カラマン・シメイのこと 」を参照。


■ ベリオ先生秘蔵のヴァイオリン

写真:ベリオの肖像画, "Charles-Auguste de Bériot by Charles Baugniet 1838", via Wikipedia Commons

この二人の生徒が、それぞれ小型のマジーニを買ってほどなくして、ド・ベリオ先生は彼の秘蔵の大型マジーニを売ろうと決心した。彼は最近になって健康がすぐれず、視力も徐々に弱くなってきており、この頃、公演契約を大幅に縮小しなければならなくなっていた。

彼の資金づくりとしては、公開演奏や教授によるよりも、もっと収入の良い、“作曲”があった。 彼の作品は魅力的で、室内楽にも公開演奏にも適していたので、非常に需要が多く、その収入だけでも充分だった。

さて、皇太子、侯爵ともに先生の大型ヴァイオリンには大変憧れを持っていたので、 何とかしてこれを手に入れたいと思い早速必要な600ポンドを集めにかかった。
彼等はヴァイオリンを買うことよりも、もっと金額のはる道楽に凝っていたので、なかなか容易には集まらなかった。
そこで彼等は、生活を切りつめてもどちらが先にその必要額を集められるか競争し、先に集めた方がそのヴァイオリンの買い主になることにしようと決めた。
しばらく後、侯爵は現金で12000フラン集めた。これだけあれば前に3000フランで手に入れた小型のマジーニの下取りをしてもらって、その大型のヴァイオリンが手に入るだろうと考えたのである。

ところが彼には大きな読み違いがあった。先生に現金と小型ヴァイオリンを差し出したところ、ド・ベリオ先生から「生徒にはヴァイオリンを売るが、生徒からは決して買わないよ」と言われてしまったのだ。

その後いく晩かは、このことが気がかりになって眠れなかったそうである。しかし、かえってそういう結果が極めて効果的にその熱病を覚まさせることになって、それ以来、そのヴァイオリンを手に入れようとは思わなくなってしまった。


■ アルトに優れた大型マジーニ

さて、ド・ベリオのマジーニの話に戻ると、表板の隆起は中程度の高さで、裏は表よりも少しフラットである。縁は普通に低いのだが、それはこの楽器の型に起因している。

裏板は二枚はぎで厳選された楓材が使用され、この材料がもっとも生かされた形で作られている。というのは、この木は本来フランス人の言を借りれば、生々とした渦状の木目をしているので、極めてはっきりとした木目が出てしかるべきなのだ。表板は良質の松で、左半分は普通の木目で、右半分はやや広めの木目になっていた。そしてその木目は、上から下に垂直な線が走っているように見えるほど明瞭であった。

頭部は、この作者によくみられる例の独特の半回転をしている形状で、音色は大型のマジーニがどれでもそうであるように、大変素晴らしいものであった。第三、第四弦は完全なアルトであるが、第一、第二弦は音量豊かな充実した音で、アルトの性質は全くなかった。
写真:マジーニ作ヴァイオリン(製作年不詳), "Four Centuries of Violin Making", Sotheby's, 2006, page395より一部引用

ところで大型のマジーニを弾き慣れた人にとっては、他の作者のヴァイオリンを弾いても一般的には物足りないと言われている。このことは、この楽器を弾く人にとって、かなり不利な点でもあった。なぜならマジーニの音は、聴衆の一杯に詰まった大ホールにおいて、ホールをうならせるだけの力は充分でなかったことが再三証明されてきたからだ。

マジーニの低弦(第三・四弦)は、ヴィオラのように内部に消え去るような感じを与える音であったからである。しかし他の作者の楽器は、同じ条件で弾かれた時、奏者の耳にはほとんど響かないが、ホール全体には充分に“通る”のである。このことを証明するものとして、大型マジーニを使用する奏者は、二本の低弦の欠陥を直すための努力、例えばバスバーを 替えたり、内張りをして補強したりして不断の実験を続けているのであった。

唯一の矯正法は、修理者に表板の中央を大きく二枚張にし、魂柱の当たる裏板の部分にも二枚張をさせることである。しかしバスバーが大きすぎても内張りが重過ぎても良い効果は得られない。さらに実際、表裏を内張りしても、完全に成功したとは言えないのであった。確かに低弦はしっかりした音になって、前の状態より外向性の音になるが、この二弦が良くなった分だけ第一、第二弦の良さが失われてしまうのであった。

かくして各弦のバランスは、音量的な不均衡はなくなるが、音色はもはやマジーニの特色を失わせるものであった。この低弦にみられる特異性は、大型ほどではないにしても小型にもはっきり見られる。

この特異な音の原因は、表裏ともに非常に薄く削られた材木が使われていることによる。そして初期のブレシア派のヴァイオリンは、すべて同じような作風であった。
その後、皇太子が先生から大型のマジーニを手に入れたので、私は彼の使用していた小型のマジーニをド・ベリオが弾いたものだという証明書付きで手に入れた。そのヴァイオリンは、保存状態がとても良く、マジーニの小型ヴァイオリンとして例証できるほどできの良いものであった。

第26話 ~王家のマジーニ・その2~へつづく