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19世紀フランスで最も成功した男 ヴィヨーム


第11回は、フランスで最も成功したディーラーであり、鑑定家、発明家としても活躍したジャン・バティスト・ヴィヨームをご紹介します。

写真:Letterhead of Vuillaume, J.B.VUILLAUME His Lige and Work, Roger MILLANT, 1972, イラスト. 4より引用




生い立ち 

フランスにおける一大バイオリン製作都市ミルクールに生まれたジャン・バティスト・ヴィヨームは、1818年にパリへ移り、フランソワ・シャノ(Francois Chanot)の工房に弟子入りしました。ここで彼はニコラ・リュポ(Nicolas Lupot)の作品を模倣することから始めましたが、ストラディヴァリやグァルネリ・デルジェスなどのイタリアのオールド楽器に興味を抱き、名器のレプリカ製作へと傾倒しはじめます。

自身の工房を立ち上げた際も、典型的なオールドイタリアンの名器をモデルとし製作活動を行うことで事業を成功させました。ヴィヨームの持つ優れた審美眼は、製作者としてもディーラーとしても超一流の才能であったことは疑う余地がありません。

写真:「The Three Vuillaume (左からJ.B、Sebastien、Nicolas-Francois)」, J.B.VUILLAUME His Lige and Work, Roger MILLANT, 1972, イラスト.33より引用




製作者としての功績

1827年、パリに工房を立ち上げたヴィヨームは3,000挺にも及ぶ楽器を製作しました。

工房には19世紀を代表する楽器・弓製作者が多く働いており、代表的な楽器製作者にはジルヴェストゥル(Hippolyte Silvestre)、デラゼー(Honoré Derazey)、モコテル(Charles Maucotel)、弓職人にはペカット兄弟(Dominique&Francois Peccatte)、ペルソワ(Jean Pierre Marie Persoit)、シモン(Pierre Simon)、ヴォワラン(François Nicolas Voirin)、フォンクローズ(Claude Joseph Fonclause)などが挙げられます。

 

工房製の楽器の多くは製作者のサイン、そして「ヴィヨームナンバー」と呼ばれる個体番号がラベルへ記載されているため、見分けがつきやすいことが特徴です。使用するモデルや工程を標準化することで作品の品質維持を実現するなど、今日の量産体制の基礎を築いたといえます。


彼は、音楽が一般市民の文化として受け入れられていった当時の時勢をよく理解し、庶民でも購入できるスチューデントモデルも製作しました。

代表的なものが、ミルクールで弟のニコラ(Nicolas Vuillaume)に製作させていた”STENTOR”や”St. Cecile”というブランドです。このように楽器のランクに合わせて仕様や製作地、価格を変えることにより優れた商品を生み出していきました。


写真:「"St. Cecille"ブランドのラベル(上)と刻印(下)」, J.B.VUILLAUME His Lige and Work, Roger MILLANT, 1972, イラスト.44より引用








ディーラーとしての功績

1855年にはパリ万国博覧会が開催されるなど、経済発展とともに裕福になったフランスの上流階級市民のあいだで、イタリア製の楽器に対する憧れと需要が高まっていきます。こうした時代の中、ヴィヨームは優れたヴァイオリン・ディーラーとして活躍することになったのです。

 

彼はミラノの楽器商、ルイージ・タリジオから144本のイタリア製の楽器を購入。その中にはストラディヴァリの傑作である1716年製メシアをはじめ、グァルネリやアマティなど、数々のオールド名器が含まれていました。これらを富裕層向けに販売する中で、自身の楽器製作の研究材料として活用し、レプリカ製作を行なっていきます。その芸術性の高い精巧なつくりの楽器は、お金のない演奏家にとって、機能性のみならず所有欲をも刺激するものであり、多くの注文を得るに至ります。

 

このようにディーラーとメーカーという異なる事業を、車の両輪のごとくバランスよく走らせた功績は、過去に例を見ない成功例と言えるでしょう。

写真:Violin made by J.B.Vuillaume, Paris, 1868, model GUARNERI DEL GESU




発明家としての功績

ヴィヨームはまた、弦楽器業界における稀代の発明家としても有名です。

 

超低音を奏でるための巨大な三弦コントラバス「オクトバス」、プレーヤーが自分で毛替えができる弓「セルフ・リヘアリングボウ」、より強い音色を実現するべくスティックが金属で出来た「アイアンボウ」、フロッグの貝目の代わりにマイクロフィルムとレンズを取り付け、レンズを覗くとヴィヨームの写真が見える「ピクチャーボウ」など、非常にユニークな製品を多く開発しました。

 

また、実用的な発明で忘れてはならないのが、「ヴィヨーム式フロッグ」です。これはスティックとフロッグの合わせ面を丸く削り、合わせの精度を高めるとともに、スムーズなフロッグの可動を実現しました。これは後の世にも踏襲される一つのスタイルとして定着しました。

 

こうした発明の背景には、パガニーニをはじめ数々の演奏家、音楽家との深い親交が存在します。プレーヤーが求めるものを実現するために、親身な立場で常にアイデアを働かせていた彼の姿が見て取れます。

写真:「アイアンボウを使用するパガニーニ」Jean-Baptiste VUILLAUME Un luthier francais, 1998, P71より一部引用




こうしたヴィヨームの残した功績は、200年後の弦楽器販売、製作の立場から見ても手本となるほど、現代的で驚くべきものです。

文:窪田陽平