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特別展示 I:モダン・イタリアン《Modern Italian Violin》の響宴

VILON FORUM Vol.2
2021年7月22日 火曜日 - 8月31日 火曜日
@ 文京楽器 店舗 & WEBサイト
モダン・イタリアン・ヴァイオリン《Modern Italian Violin》と言えば、現代の演奏家や愛好家が一度は手にしてみたいと憧れる楽器ではないでしょうか。モダン・イタリアン・ヴァイオリンは、同時期にフランスやドイツで製作されたものと比べ、製作スタイルが地方色に豊み、作家の個性が際立っていること等が、特徴に挙げられます。現在、文京楽器のショールームでは、20世紀前半に製作された作品を中心に、モダン・イタリアン・ヴァイオリン約20挺を一堂に会して展示しており、展示された全ての楽器を実際に試奏することができます。リアル展示に連動した、このWEB特設ページでは、それぞれの作品を製作スクール(派)に分類して紹介します。

スクールへの見識を深め、ヴァイオリンの審美眼を磨く

皆さんのなかにも、トリノ派のファニョーラやボローニャ派のポッジといった名前を耳にしたことがあるかも知れません。彼らの作品は、モダン・イタリアンの最高峰として有名で、世界的にも人気で近年とみに高価になりました。しかし、彼らも他から切り離された存在として、突然彗星のごとく現れた訳ではありません。当然のことながら、彼らも製作スクールの一員であり、師匠や同業者の作風、当時の流行、地域の環境等に影響されることで、そのスタイルが完成していきました。

つまり、ファニョーラやポッジのようなレジェンドを生んだ背景には、それぞれの地域でヴァイオリン製作が産業として花開き、歴史と伝統が息づいていたのです。このことは、彼ら以外にも実力のある作家や秀逸な作品が数多く存在していることを意味しており、この層の厚さと多様性がモダン・イタリアン・ヴァイオリンの特徴でもあります。

モダン・イタリアン一級の作品が大変高価となり、一般のプレイヤーに手が届かなくなりつつある現代だからこそ、多様性のある作品群の中から、好みに叶う優れた楽器を見つけ出す能力が求められているのではないでしょうか。一過性の音の良し悪しや、単に聞いたことがある名前だからといった理由だけで判断するのはあまり賢明とは言えません。長期的な視野に立って、作品の実力と価値を見極めることが理想的であり、専門家に限らず奏者や愛好家自身が審美眼を磨くことが必要な時代なのです。

審美眼を養う近道となるのが、製作スクールへの理解を深めることです。ヴァイオリンを区別して認識できるようになるためには、ひとつの作品を何らかの文脈で捉えなければなりません。言い換えると、ヴァイオリンが製作された年代を「縦軸」に、製作された場所を「横軸」として捉え、他の作品と比較することです。人間の五感は、比較なしでは微細な変化に気づきにくいものですが、領域を絞って複数を比較した場合には、かなり細かいところまで、その差を感じとることができます。その差を感じとる力を高めていくことが、感性=審美眼を磨くことに繋がるのです。

ところが、何の脈絡のないヴァイオリン同士(全く異なる時代・地域で製作されてもの)を比べるのでは、その差が大き過ぎます。審美眼を磨くには、同じ作家の年代違い、同スクールの別の作家の作品、同じ国の同時代の別スクールの作品と比較するなど、少し共通性を持った作品群で評価するのが大変有効です。例えば、同じトリノ派のファニョーラとオッドーネとグエラを比べ、「スクロールの黒い縁取りはこの時代のトリノ派に共通しているな。一方でf字孔の下の目玉がやや楕円形になるのは、ファニョーラに特有なもので、彼の作品に共通している!」というように観察していくのです。こうした手法は、まさに鑑定のエキスパートが行なっている勉強法そのものです。

このようにして作品同士の詳細な違いを明らかにしながら、同じスクールの作品の特徴を括って整理していくと、各スクール毎の特徴があきらかになってきます。ひとつのスクールの理解がある程度進めば、自ずと他のスクールへの理解は深まります。ここまでくると、ある楽器に出会った時、製作家まで特定できなくても、この楽器がどのスクールに属するのか類推ができるようになるでしょう。モダン・イタリアンの製作スクールは比較的わかりやすいので、最初に取り組むには最適です。

それでは、製作スクールの背景を知り、展示作品をグループ化して比べることで、モダン・イタリアンへの造詣を一緒に深めてまいりましょう。

モダン・イタリアン・ヴァイオリンとは?

次に、イタリアのヴァイオリン製作史を簡単に振り返りながら、モダン・イタリアン・ヴァイオリン(ここでは1800年以降に現在のイタリアで製作されたヴァイオリンと定義します。)の位置付けを確認していきましょう。
オールド・イタリアンの時代と衰退

16世紀中頃にクレモナでヴァイオリンが誕生すると、イタリアのヴァイオリン製作は17世紀後半から18世紀の前半まで隆盛を極め、各地に広がって行きました。クレモナでは、18世紀前半にアントニオ・ストラディヴァリ(1644-1737)とグァルネリ・デルジェス(1698-1744)が、現代になっても凌駕できない二大名器を完成させます。ミラノ、ブレシア、ボローニャ、ヴェニス、トリノ、ナポリ、ローマ、フィレンツェといった都市でも、個性あふれる製作家が活躍し、まさに百花繚乱の時代でした。

しかし、1701年にスペイン継承戦争が勃発します。1713年にはユトレヒト条約が締結され終戦しますが、イタリアは参加国の戦利品として分割されることとなり、国力は徐々に衰えていきました。18世紀後半になると、ヴァイオリン製作にも影響が及び、イタリア各地でもかつてのような勢いはなくなってしまいます。クレモナも例外ではなく、ストラディヴァリ工房を引き継いだカルロ・ベルゴンツィが1747年に亡くなると、ヴァイオリン製作は産業として衰退してしまいました。
リソルジメント(イタリア統一運動)とイタリアン・ヴァイオリンの復興

ナポレオンによるイタリア遠征(1796-97)と分割統治(停戦条約のカンポフォルミオ条約により、ヴェネツィア共和国、ジェノヴァ共和国は消滅)を契機として、リソルジメント(イタリア統一運動)が始まります。ナポレオンは封建制度を廃すことで、それまで脈々と受け継がれてきた地域の伝統を破壊したり、フランス語の公用語化を推し進めたりしたため、イタリア人のナショナリズムを刺激したのです。こうして高まった気運は、様々な段階を経て、1861年イタリア王国を成立させました。ちなみに、イタリア王国はトリノが首都であったサルディーニャ王国を基盤としていました。

こうした政治的な動きに合わせて、イタリア国民のアイデンティティへの希求は高まりを見せ、自国の伝統文化の見直しに繋がっていきました。ヴァイオリン製作においてもその影響を色濃く受けており、いち早く工業化と遂げたトリノ、経済の中心都市ミラノ、学術都市ボローニャ、芸術都市フィレンツェ、ヴァチカンを擁する首都ローマなどを中心に、再び活性化していきます。このように製作スクールは、豊かな都市文化を背景に発達し、その存在がエネルギーとなって、モダン・イタリアン・ヴァイオリンの品質を向上させたと言えるでしょう。

モダン・イタリアン・ヴァイオリンから現代のクレモナ・ヴァイオリン製作へ

クレモナ・ヴァイオリン製作学校の設立秘話

モダン・ボローニャ派の祖のラファエーレ・フィオリーニ(1828 – 1898)の息子、ジュゼッペ・フィオリーニ(1861 – 1934)(写真)は、出身のボローニャで修行を積んだ後、新天地を求めドイツやスイスで仕事をしました。フィオリーニは、ボローニャ時代の1881年に開催されたミラノ万博で、ストラディヴァリの遺品が出展されているのを発見します。遺品はストラディヴァリ工房に残されていた道具や型で、アントニオ・ストラディヴァリの末息子のパオロが、世界初のヴァイオリン・コレクターとして知られるピエモンテの貴族のサラブーエ伯爵イニャツィオ・アレッサンドロ・コツィオ (1755–1840) に売却したものでした。これを見たフィオリーニは、ストラディヴァリの遺品を再びクレモナに戻し、オールド時代にイタリアで花開いた、至高のヴァイオリン芸術を再興する構想を持つようになります。

しかし、最終的にフィオリーニが、サラブーエ伯爵の相続人から、ストラディヴァリの遺品を手に入れたのは、1920年のことで、およそ40年の月日が流れていました。自らの資金を投げ打っての購入だったようです。ようやく手に入れたストラディヴァリの遺品をもとに、聖地クレモナでのヴァイオリン製作学校の創立を目指して働きかけますが、地域間の軋轢に翻弄されてしまいます。(クレモナはロンバルディア州の都市で、フィオリーニはエミリア・ロマーニャ州のボローニャ出身であった。)失意の中、フィオリーニは視力を失っていまいました。この時期にストラディヴァリの型や道具の研究を手伝ったのが、後にアメリカのニューヨークへ渡って、製作・修復・鑑定のエキスパートとして活躍し、不朽の名著「ストラディヴァリの秘密」を執筆した、シモーネ・フェルディナンド・サッコーニ(1895 – 1974)でした。

フィオリーニは最後の望みを託して、1930年に生涯をかけて入手したストラディヴァリの遺品をクレモナ市に寄贈します。1937年クレモナ弦楽器製作学校は、ストラディヴァリの没後200年祭を契機に、ついに設立されます。しかし、フィオリーニは1934年に既に亡くなっていて、クレモナ製作学校の設立を目にすることはできませんでした。
再びヴァイオリンの聖地クレモナへ

こうして設立されたクレモナ弦楽器製作学校が成果をあげるのは、第二次世界大戦後です。
最近になって相次いで亡くなった、現代を代表するクレモナの巨匠、ジオ・バッタ・モラッシー(1934-2018)とフランチェスコ・ビソロッティ(1929-2019)は、この製作学校の初期の生徒でした。当初ハンガリー出身のピーター・タター(1909 – 1973)が教授を勤めていましたが、その水準は高くありませんでした。1958年にミラノ派の伝統を受け継ぐパルマの製作家、ピエトロ・ズガラボット(1903 – 1990)が教授につき、その後ミラノ派のジュゼッペ・オルナーティ(1887 – 1965)やフェルディナンド・ガリンベルティ(1894 – 1982)が、ニューヨークからはフィオリーニのストラディヴァリウス研究を引き継いだサッコーニにが指導に訪れるようになり、水準は著しく上がります。モラッシーは、オルナーティやガリンベルティの影響を受け、製作手法は外型を好み、丸みを帯びた優雅なスタイルが特徴となりました。

ビソロッティは、サッコーニの影響を大きく受け、製作手法は内型を好み、精度が良く重厚な製作スタイルを確立しました。ちなみに、サッコーニは1962年から1972年にかけて、夏のヴァケーションをクレモナで過ごし、ビソロッティの工房でストラディヴァリの遺品コレクションを研究し再整理しました。その成果が前述した不朽の名著「ストラディヴァリの秘密」です。モラッシーとビソロッティは、現代クレモナ・ヴァイオリンの二大巨匠として長年に渡って君臨しました。多くの優秀な弟子や生徒を育て、クレモナのヴァイオリン製作を再び世界的にするのに多大なる貢献を果たしました。

一方クレモナ市は、サッコーニの薦めもあり、ストラディヴァリウスをはじめとするオールド・クレモネーズの名器入手に着手します。1961年には、現在クレモネーゼ《Cremonese》の号名で有名な1715年製のストラディヴァリウス《Ex Joachim》を手に入れます。ストラディヴァリの黄金期の最盛期(1714-1716)に製作されたこのヴァイオリンは、まさしく街のシンボルとなりました。

1999年に統一ユーロ通貨が採用されると、ユーロ圏の経済が活発化します。この流れを巧みに取り込み、2002年から弦楽器の国際見本市かモンド・ムジカ《Mondo Musica》が始まります。クレモナはヴァイオリン産業とヴァイオリン文化の発信地として、世界から認知されるようになります。また2012年には、クレモナの伝統的ヴァイオリン製作が、ユネスコ無形文化遺産の認定を受けます。続けて2013年には、新しくヴァイオリン博物館《Museo del Violino》が竣工しました。こうしてクレモナは、再びヴァイオリンの聖地に返り咲いたのです。

フィオリーニがミラノ万博でストラディヴァリの遺品と運命的な遭遇をしてから、クレモナの伝統的ヴァイオリン製作がユネスコ無形文化遺産の認定を受けるまで、実に約130年の時を必要としました。

製作スクールの解説と展示作品

それでは具体的に、製作スクールの概要を解説していきます。そのスクールで活躍した主なメーカーもリストに挙げておきました。展示楽器は写真点数を増やしてWEBに掲載していますので、写真から読み取れる違いを、是非ご鑑賞下さい。(スクールの解説はSNSへの投稿とともに順次公開予定です。)

製作スクールの解説

トリノ派

モダン・トリノ派は、フランスの影響を受けて始まります。1796年のナポレオン侵攻によって、ピエモンテ地方がフランスに統治されるようになると、フランス人のヴァイオリン・メーカーがトリノにやって来ます。その一人がニコラ・レテ=ピルマン《Nicolas Lete-Pillement》(1775–1819)でした。彼は弦楽器店を開いて商いを始めます。そのもとで働いていたのが、G.F.プレッセンダ(1777–1854)でした。

1815年にウィーン体制によってピエモンテがサルディーニャ王国に返還されると、フランス人の影響力は弱くなります。レテ=ピルマンが1819年に亡くなると、これを契機にプレッセンダは独立。ストラディヴァリウスとガルネリウスの融合を試み、深紅のニスが特徴の独特のスタイルを確立します。このプレッセンダ・スタイルは、その後のモダン・トリノ派に大きな影響を与えました。一方、プレッセンダの弟子であったジュゼッペ・ロッカ(1807 – 1865)は、1838年頃に独立。ヴァイオリン・ハンター、ルイージ・タリシオ(1796 –1854)の影響から、ストラディヴァリウスやガルネリウスに忠実なモデルで製作しました。彼らの製作した楽器は「モダン・イタリアンの最高峰」とされ「次世代のストラディヴァリウス」と期待されています。

19世紀の後半になると、ガダニーニ工房とリナルディ工房がヴァイオリン製作の主役となりました。20世紀になると、これらの工房で腕を磨いた、カルロ・オッドーネ(1866-1935)、アンニバーレ・ファニョーラ(1865-1939)、エヴァシオ・エミリオ・グエラ(1875-1956)が中心となって活躍しました。彼らはイタリア以外の海外にも販路を築き、世界的な名声を集めました。ところが、トリノ派の主要な製作家は、20世紀の前半までに亡くなってしまいます。こうして、トリノのヴァイオリン製作は戦後になって衰退してしまいます。戦後になっても活躍したメーカーはアンセルモ・カルレット(1888-1973)やプリニオ・ミケッティ(1891-1991)など、ごく一部でした。
トリノ派の展示作品
Violin Evasio Emilio GUERRA Torino 1948
 エヴァシオ・エミリオ・グエラ 1948年 トリノ製
Violin Riccardo GENOVESE Montiglio 1927
 リカルド・ジェノヴェーゼ 1927年 モンティーリオ製
Violin Riccardo GENOVESE Montiglio 1931
 リカルド・ジェノヴェーゼ 1931年 モンティーリオ製
ミラノ派

モダン・ミラノ派は、ガエタノ・アントニアッツィ(1825 – 1897)が1870年に息子のリッカルド(1853 – 1912)とロメオ(1862 – 1925)ととともにクレモナからミラノへ移り住んだことに始まります。ガエタノはクレモナの伝統を引き継いだ最後のヴァイオリン・メーカーでした。クレモナのジュゼッペ・アントニオ・チェルティ(1785-1860)からヴァイオリン製作を学んだとされています。モダン・ミラノ派は、ガエタノと二人の息子=アントニアッツィ兄弟とレアンドロ・ビジャッキ(1864 – 1946)が主要な役割を果たすことで、発展していきました。

アントニアッツィ兄弟は、1890年頃に独立しましたが、程なくして、かつての弟子のレアンドロ・ビジャッキに雇われることになります。ビジャッキ工房で働いたあと、1904年以降はモンツィーノ工房で働きました。彼らは高い技術を持った製作者であったにもかかわらず、工房のラベルで製作したため、正当に評価されませんでした。しかし、モダン・ミラノ派を俯瞰してみると、アントニアッツィ兄弟は、多くの製作家を育てており、その功績は想像以上に大きなものです。代表的な弟子には、ジュゼッペ・ペドラツィーニ(1879 – 1957)、ガエタノ・ズガラボット(1878 – 1959)、フェルディナンド・ガリンベルティ(1894 – 1982)がいます。彼らもまた後進の指導に力を入れました。

一方、レアンドロ・ビジャッキは、単なるヴァイオリン製作家に留まらず、オールド楽器のディーラーとしても活躍しました。その審美眼を活かしてオールドの名器に基づく秀逸なモデルを生み出し、優れた工房制度を確立して数多くの良質な楽器を世に送り出しました。ビジャッキ工房が活躍することで、ミラノ派だけでなくイタリア各地に数多くのヴァイオリン・メーカーが育っていきました。

レアンドロの4人の息子であるアンドレア(1890 – 1967)、カルロ(1892 – 1968)、ジャコモ(1900-1995)、レアンドロ2世(1904 – 1982)らも父のもとで働き、製作や修復などそれぞれの仕事に従事しました。カルロはフィレンツェに移住し、モダン・フィレンツェ派の発展に貢献しました。

モダン・ミラノ派はトリノ派と異なり、多くのメーカーが第二次世界大戦後も活躍します。1937年設立のクレモナ弦楽器製作学校は、そうしたミラノ派の巨匠を招いて、教育レベルの向上を図ったのです。そう考えると、現代クレモナのヴァイオリン製作は、モダン・ミラノ派の延長線上にあると捉えることも可能です。
ミラノ派の展示作品
Violin Piero PARRAVICINI Milano ca1930
 ピエロ・パッラヴィチーニ 1930年頃 ミラノ製
Violin Azzo ROVESCALLI Milano 1920
 アッツォ・ロヴェスカッリ 1920年 ミラノ製
クレモナ派

16-18世紀前半までのオールド時代、クレモナはヴァイオリン製作の中心として栄えました。ストラディヴァリ工房を引き継いだカルロ・ベルゴンツィが1747年に亡くなると、ヴァイオリン製作は産業として衰退していき、繊維業が盛んになりました。しかし、カルロの息子の、カルロ2世やニコラは製作を続けていました。18世紀末にはロレンツォ・ストリオーニ(1744-1816)が、グァルネリ・デルジェスの作品に影響を受けながら独自のスタイルを確立しました。しかし、その作風はかつてのように、洗練されたものではありませんでした。

1802年にストリオーニの工房を受け継いだのが、ジョヴァンニ・バッティスタ・チェルティ(1756-1817)でした。チェルティは、ベルゴンツィ家の末裔のカルロ2世やニコラとも親交がありました。このように、チェルティ家は、クレモナのヴァイオリン製作を20世紀に繋ぐ重要な存在です。息子のジュゼッペ・アントニオ(1785-1860)と孫のエンリコ(1806 – 1883)とヴァイオリン製作を続けました。エンリコは、ヴァイオリン・ハンターのルイージ・タリシオとも交流があったようですが、その当時流行していた、ストラディヴァリやグァルネリ・モデルは用いず、チェルティ家と直接関係のあったベルゴンツィのモデルで製作しました。ガエタノ・アントニアッツィ(1825 – 1897)はジュゼッペ・アントニオ・チェルティ(1785-1860)からヴァイオリン製作を学び、1870年ミラノに移住しました。ガエタノはクレモナの伝統をミラノへ伝え、モダン・ミラノ派の発展に貢献しました。

こうしてクレモナの伝統は一旦途絶えますが、1937年のクレモナ弦楽器製作学校の設立によって、第二次世界大戦後は再びヴァイオリン製作の中心としての地位を取り戻していきます。(戦後のクレモナの発展に関しては前述の文章をお読み下さい。)
クレモナ派の主なメーカー

ジョヴァンニ・バッティスタ・チェルティ(1756-1817)
ジュゼッペ・アントニオ・チェルティ(1785-1860)
エンリコ・チェルティ(1806 – 1883)
ガエタノ・アントニアッツィ(1825 – 1897)
ジオ・バッタ・モラッシー(1934-2018)
フランチェスコ・ビソロッティ(1929-2019)
クレモナ派の展示作品
Violin Francesco BISSOLOTTI Cremona 2009
 フランチェスコ・ビソロッティ 2009年 クレモナ製
マントヴァ派

ロンバルディアの小都市マントヴァのヴァイオリン製作は、ピエトロ・グァルネリ(1655-1720)が1680年代にクレモナから新天地を求めて移住したことで始まりました。彼は演奏家として宮廷に仕えながら、製作を続けました。ピエトロの製作スタイルはその後もマントヴァ派に大きな影響を与えつづけました。その後は、カミロ・カミリ(1703-1754)、トマッソ・バレストリエリ(1713-1796)が活躍します。19世紀にはいると、ジュゼッペ・ダラリオ(1744-1855)と、ダラリオと血縁関係にあったサンテ・デ・コッピ(1787-1867)が製作を続けていました。しかし、彼らの作品は18世紀のような水準にありませんでした。

20世紀になると、ブレシア生まれのステファノ・スカランペラ(1843-1925)が1885年頃にマントヴァに移住してヴァイオリン製作を始めます。彼は家具製作を父から学んだものの、ヴァイオリン製作はほぼ独学でを学んだようです。そのため、スカランペラの作風は同時期のモダン・メーカーと一線を画していました。グァルネリ・デルジェスに影響された大胆な作風で製作された彼の作品は、力強い音を持ち、モダン・イタリアン・ヴァイオリンの中で、今日最も求められる楽器の一つとして評価されています。1920年頃からは、ガエタノ・ガッタ(1900-1950)が、スカランペラの弟子となり製作を助けました。スカランペラが亡くなるとガエタノはその工房を引継いで製作を続けました。ガエタノの息子のマリオ(1931-2008)はその工房を引継ぎ、21世紀初めまで製作を続けました。
マントヴァ派の主なメーカー

ジュゼッペ・ダラリオ(1744-1855)
サンテ・デ・コッピ(1787-1867)
ステファノ・スカランペラ(1843-1925)
ガエタノ・ガッダ(1900-1950)
マリオ・ガッダ(1931-2008)
マントヴァ派の展示作品
Stefano SCARAMPELLA Mantova 1921
 ステファノ・スカランペラ 1921年マントヴァ製
Violin Mario GADDA Mantova ca.1950-70
 マリオ・ガッダ 1950-70年 マントヴァ製
Violin Mario GADDA Mantova 1994
 マリオ・ガッダ 1993年 マントヴァ製 (ヴィオラ405㎜)
Violin Mario GADDA Mantova 2004
 マリオ・ガッダ 1994年 マントヴァ製
Viola Mario GADDA Mantova 1993 405mm
 マリオ・ガッダ 2004年 マントヴァ製
ボローニャ派

モダン・ボローニャ派は、ラファエーレ・フィオリーニ(1828-1898)の活躍によってはじまりました。ボローニャ近郊で生まれたフィオリーニは、ヴァイオリン製作を独学で学びながら、モデナ宮廷に仕えていたヴァイオリニストのイニャツィオ・タドリーニから影響を受けました。タドリーニはパリでヴァイオリン製作を学んでいたため、モダン・ボローニャ派はフランス式と同じ外型を用いることになりました。1867年にフィオリーニがボローニャで工房を構えると大変繁盛します。アウグスト・ポラストリ(1877-1927)、息子のジュゼッペ・フィオリーニ(1861-1934)、チェザーレ・キャンディ(1869-1947)などの優秀な弟子がこの工房で働きました。

ラファエーレ・フィオリーニの後のモダン・ボローニャ派は、二つの流れに大別できます。ひとつはラファエーレ・フィオリーニの伝統をそのまま継承したアウグスト・ポラストリによるものです。第一次世界大戦の終わった1915年頃には、もともとプロのヴァイオリニストであった弟のガエタノ(1886-1960)も、ポラストリ工房で働くようになり、ボローニャの中心的な工房となります。また、ガエタノは、オテッロ・ビニャーミ(1914-1989)やフランコ・アルバネッリ(1933-2007)といった次世代のメーカーを育てました。彼らはポラストリの確立したスタイルを守りながら、20世紀後半まで活躍しました。

もうひとつはラファエーレの子、ジュゼッペ・フィオリーニ(1861-1934)による流れです。彼はオールド時代のクレモナの製法に精通しており、父の築いたモダン・ボローニャの伝統とは異なり内型を使用して製作しました。アンサルド・ポッジ(1893-1984)は、当時チューリッヒにいたジュゼッペのもとでヴァイオリン製作を学びます。ポッジはボローニャに戻ってからも、他の同時代のメーカーとは一線を画し、ジュゼッペの教えに忠実に内型を用いて製作しました。現在ポッジの作品は、トリノ派のファニョーラと並び称される、20世紀のモダン・イタリアン・ヴァイオリンの最高峰です。
ボローニャ派の主なメーカー

ラファエーレ・フィオリーニ(1828-1898)
ジュゼッペ・フィオリーニ(1861-1934)
アウグスト・ポラストリ(1877-1927)
ガエタノ・ポラストリ(1886-1960)
アンサルド・ポッジ(1893-1984)
オテッロ・ビニャーミ(1914-1989)
フランコ・アルバネッリ(1933-2007)
ボローニャ派の展示作品
Viola Franco ALBANELLI Bologna 1980
 フランコ・アルバネッリ 1980年 ボローニャ製(ヴィオラ416mm)
ヴェニス派

19世期のヴェニスのヴァイオリン製作はそれほど活発ではありませんでした。18世期と19世期のヴァイオリン製作を繋ぐ役目をしたのが、ルイージ・ファブリス(1809-1889)でした。ファブリスは1830年頃から晩年までヴァイオリン・メーカーとして活動しました。

1888年父からヴァイオリン製作を学んだエウジェニオ・デガーニ(1875-1959)がヴェニスに移り住みます。彼の製作スタイルは非常に個性的なものでした。息子のジュリオ・エットーレ・デガーニ(1875-1959)は父親のスタイルで製作しましたが、経済的不況から1915年新天地アメリカに移住してヴァイオリン製作を続けました。エウジェニオ・デガーニの甥で弟子のジョヴァンニ・シュヴァルツ(1865-1953)が、ひとりヴェニスで製作を続けました。
ヴェニス派の主なメーカー

ルイージ・ファブリス(1809-1889)
エウジェニオ・デガーニ(1875-1959)
ジュリオ・エットーレ・デガーニ(1875-1959)
ジョヴァンニ・シュヴァルツ(1865-1953)
ヴェニス派の展示作品
Violin Luigi FABLIS Venezia 1870
 ルイージ・ファブリス 1870年 ヴェニス製
Viola Giovanni SCHWARZ Venezia ca1910
 ジョヴァンニ・シュヴァルツ1910年頃 ヴェニス製(ヴィオラ)
genoa ジェノヴァ派

19世紀のジェノヴァのヴァイオリン製作は、ニコロ・ビアンキ(1803-1881)に学んだエウジェニオ・プラガ(1847-1901)とトリノ派の巨匠のジュゼッペ・ロッカ(1807 – 1865)を父に持つエンリコ・ロッカ(1847-1915)が活躍しました。ビアンキはプラガの他にも、ミラノ派のリッカルド・アントニアッツィ(1853 – 1912)やマントヴァ派のステファノ・スカランペラ(1843-1925)の兄、ジュゼッペ・スカランペラ(1838-1902)にヴァイオリン製作を教えたとされ、モダン・イタリアン・ヴァイオリン全体に影響を与えた存在です。

続いて、ラファエーレ・フィオリーニ(1828-1898)の高弟、チェザーレ・キャンディ(1869-1947)がボローニャから移住して来ます。1892年に工房を開くと、ジェノヴァのヴァイオリン製作は活発になりました。ジェノヴァ市役所に保管されていた、パガニーニのグァルネリ・デルジェス1743年製カノーネ《Il Cannone》は、キャンディが再発掘したことで有名になりました。そのため、ジェノヴァ派の作品にはカノーネ・モデルが多用されています。キャンディは、パオロ・デ・バルビエリ(1889-1962)、アンドレア・コルテーゼ(1889-1954)、ジュゼッペ・レッキ(1895-1967)など優れたメーカーを育てました。
ジェノヴァ派の展示作品
Violin Andrea CORTESE 1951
 アンドレア・コルテーゼ 1951年 ジェノヴァ製
フィレンツェ派

芸術文化都市フィレンツェにおける19世紀のヴァイオリン製作は、それ程活発ではありませんでした。この時期にヴァレンティノ・デ・ゾルジ(1837-1916)がフィレンツェに移住して製作をしていたことが分かっています。1920年代の半ばに、モダン・ミラノ派の立役者、レアンドロ・ビジャッキ(1864 – 1946)の息子のカルロ・ビジャッキ(1892-1968)がフィレンツェに移住してくると、すでにレアンドロの薫陶を受けて、腕の良いヴァイオリン・メーカーであった、イジーノ・ズデルチ(1884-1983)と協働するようになりました。ズデルチは多作な製作家で700本以上のヴァイオリンを製作しました。この他に、オールド・ヴァイオリンのニスを研究して著書にまとめた、ラポ・カッシーニ(1896-c1986)もフィレンツェで活躍しました。
フィレンツェ派の主なメーカー

ヴァレンティノ・デ・ゾルジ(1837-1916)
カルロ・ビジャッキ(1892-1968)
ラポ・カッシーニ(1896-c1986)
イジーノ・ズデルチ(1884-1983)
フィレンツェ派の展示作品

Violin Carlo BISIACH Florence 1923
 カルロ・ビジャッキ1923年 フィレンツェ製
naples ナポリ派

18世紀のナポリでは、ガリアーノ家が中心となってヴァイオリン製作が発展しました。現代においても、創始者のアレッサンドロ(1665-1732)、第二世代のニコロ(c1710-1787)とジェナロ(1705-1790)、第三世代のフェルディナンド(1738-1804)やジュゼッペ(1742-1820)&アントニオ(1764-1835)の製作したオールド・ヴァイオリンは奏者の間で高い人気を誇ります。彼らの確立したガリアーノ・スタイルはモダン・ナポリ派にも引き継がれました。

19世紀になると、ガリアーノ家の第四世代のラファエーレ(1790-1857)&アントニオ二世(1791-1860)が活躍しましたが、18世紀の水準には届かないものでした。同時期には、ガリアーノ家から製作を学んだとされるロレンツォ・ヴェンタパーネ(1780-1843)が、19世期後半には、ヴィンチェンツォ・イオリオ(1780-1849)の弟子のヴィンチェンツォ・ポスティリョーネ(1835-1916)が活躍しました。20世紀には、ポスティリョーネに製作を学んだジョヴァンニ・ピストゥッチ(1864-1955)やジョヴァンニ・テデスコ(1861-1947)に製作を学んだとされるヴィンチェンツォ・サニーノ(1879-1969)が活躍しました。彼らの愛用したモデルは、伝統のガリアーノ・モデルでした。サニーノは1920年半ば頃から、ローマにその主たる拠点を移すと、ガリアーノ・モデル以外の製作にも取り組むようになりました。
ナポリ派の主なメーカー

ラファエーレ&アントニオ・ガリアーノ(Fl.1800-1857)
ロレンツォ・ヴェンタパーネ(1780-1843)
ヴィンチェンツォ・イオリオ(1780-1849)
ヴィンチェンツォ・ポスティリョーネ(1835-1916)
ジョヴァンニ・ピストゥッチ(1864-1955)
ヴィンチェンツォ・サニーノ(1879-1969)
ナポリ派の展示作品
Violin Vincenzo SANNINO Napoli ca1930-40
 ヴィンチェンツォ・サニーノ1930-40年頃ナポリ製
その他の地域のモダン・イタリアン・ヴァイオリン 展示作品
CelloAlberto GUERRA Modena 1955
 アルベルト・グエラ 1995年 モデナ製(チェロ)
Violin Carlo MORETTI Ancona 1926 sold
 カルロ・モレッティ1926年 アンコーナ製
ニース派

ニースはイタリア語で《Nizza》と言います。現在はフランスですが、かつてはイタリアのピエモンテを中心に統治したサヴァイア公国や、イタリア王国の前身であるサルデーニャ王国に帰属していました。そのため、ニースのヴァイオリン製作は、極めてイタリア的な特徴があり、参考として展示しています。
ニース派の主なメーカー

ピエール・パシュレル(1803-1871)
ニコロ・ビアンキ(1803-1871)
アルベルト・ルイージ・ブランキ(1871-1948)
ピエール・ガッジーニ(1903-2006)
ニース派の展示作品
Violin Alberto Aloysius BLANCHI Nice ca1926
 アルベルト・ルイージ・ブランキ 1926年ニース製
Violin Pierre GAGGINI Nice ca1937
 ピエール・ガッジーニ 1937年ニース製
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